やっぱり俺はこの子の事が好きなのだ

妻との出会いから子育てまで

結婚について

ダイニングチェア、照明。
新居の家具については「すべて委ねます」と言っておいたのにも関わらず口出しせずにはおられない。
何だかんだ楽しいのな。
「俺」と「彼女」がそれぞれ好きなもの以外のところに、自分達でも気づいていない、ぐっとくるコンセンサスが存在している気がしている。

配偶者の「才能」「美貌」「情愛」などについて世間に知られることが少なければ少ないほど、「この人のほんとうの人間的価値を知っているのはこの世で私ひとりだ」という確信は深まる。
私が「この人の人間的価値」の唯一の証人なのである。
私がいなくなったら、この人はそのすばらしい人間的資質を誰にも認められぬままに終わる可能性がある。
そして、この確信から導かれる遂行的結論は「だから、私は生きねばならない」である。
配偶者の条件 (内田樹の研究室)


たぶん、そのコンセンサスは会話の中から見つかる。
二人でなければ見つからなかった、というような。

「どうして私と結婚したの?」
「だって、キミのことを誰も愛していないからさ!」


生きるという事はもっと主観的でいいと思うのだよね。
自由に自分で考えるというのはすごく難しいことだと思うのだけれど。


「良い椅子が見つかるまでは、立って飯を食う覚悟でさ!」
「裸電球でよいよ!」


部屋作りはコンセプトから。


「白を基調とした」
「いわゆる原田知世?」


「それは原田知世ではない」
「こっちの方が原田知世らしい」

一人歩きする原田知世
時をかける…