やっぱり俺はこの子の事が好きなのだ

妻との出会いから子育てまで

思い切ってやって良かったこと

直近1年間くらいの、思い切ってやって良かったこと。

こうして書いてみて気づいたのだけど、共通したテーマは”時計の針を進めること”だった。

■ 5年ぶりにケンカ別れに近い状態だった前職の後輩にバンコクまで会いに行ったこと。

前職当時、会社のエースになった急成長中の後輩、育ての親のつもりで接してきた上司である私を責めるの図、私はどん底

海外の高揚も手伝って楽しく話せた。

当時の話しは特にせず、お互いの現状報告と未来の展望を話して、また会う約束をした。 今はベトナムに行った模様。

海外で働く事に対する憧れのようなものが、ずっと自分の中にあった。

海外、というより、生まれ育った土地から離れて生活できるようになることに対する憧れ。

と同時に、土地に根を貼る既得権者への憎悪(特定の対象があるわけでなく、漠然とずっと嫌い。何故だ)

大学で上京したのもそうだし、自分で起業したのも多分そう、現在会社を海外展開で動かそうとしているのも多分そう。

精神的、肉体的に生まれた場所から遠くへ行きたいのだ。

先に行きやがってという気持ちもあり、嬉しくもあり。

■ 13年間お礼を言えなかった集英社バイト時代の編集長に会いに行ったこと。

フリーターは、学生でもない社会人でもない曖昧な状態だった。

そこで会った面倒見の良い社会人がその人だった。

同業者の飲み会にその人の部下にあたる人がいて繋いで頂いた。

”あなたが出会う人は,誰でも何かを恐れているし,誰かを愛しているし,何かを失った人なのだという事を覚えておきなさい”

人生の100箇条みたい手紙と金一封を退社時に頂いた。

お礼の手紙を書こうと思ったけど、相手は文章のプロだと気が引けて、投函できずに時間が過ぎた。

1人前になったら連絡しようと13年も経っていた。

1人前かどうかは怪しいが、当時と変わらず一人の人間として接してもらった。

結局マシンガントークを浴び、お礼を言う暇なく。

今年で定年らしいので、また会いに行く。

■20年ぶりに中学校の同窓会に参加した。

当時を思い出すと自意識の強さに目眩。

恥ずかしいだけならまだしも他人を傷つけ、そのこと自体が自分の中でしこりになっていたり。

正直、仲の良いメンバーが参加しそうになかったので、直前まで迷ったのだけど、思い切って参加した。

”謝れそうな人にちゃんと謝る”

というのが裏テーマだった。

結局、謝罪は当時の担任にだけした。

「どれを謝りたいの?」

と言われて笑った。

あと初めて付き合った子にも会った。

当時、ろくに話さなかったので、どういう子かも知らなかったし、話してみてやっぱりよくわからなかった。

ただ初めて付き合って自意識をこじらせた苦い記憶だけあって、消化しきれずにいた。

「当時はお互い幼かったよね」

というマジックワードを貰って、時計の針を進めた気がする。

また別に、謝れなかった人もいたけど、その話題に触れないで良かったようにも思うし、話すことはできた。

結論、良かった。 いにしえの後悔や心残りは、蓋をせず、時計の針を進めに行くべき。