やっぱり俺はこの子の事が好きなのだ

妻との出会いから子育てまで

いまのところ教育をする気がない

妻が保育園にお迎えに来たのを見つけた娘の友人が親切にそのことを娘に教えてくれたのに、娘は「ひとの事はいいから!ほんとにそういうこと言わなくていい」とぶち切れたらしい。 妻は「親切に教えてくれたのだから、そういう言い方で言われたらきっと悲しいと思う。ありがとうってそういう時は言うんだよ」と言ったら、娘は「つぎは『ひとのことはいいから、ほんとうにそういうことは言わなくていいよ』って優しく言うことにする」と答えた。

「性格が悪いかもしれない」と妻は言った。

僕も、娘の性格が他人に優しい方だとは思わないし、きっとどぎつい性格になると思う。 でもそれを強制して直したいとはあまり思わなかったのは、自分で痛い目見て直す、あるいは直さないでも済む場所を自分で探せばいいと思ったから。 大人になった自分の周りを見回しても、まずはじめに自分自身の性格が一般的に良い方ではないし、周りをみてもちょっとどうかしてる人がたくさんいるから、別に性格がよくないと生きていけないわけではないのだ。 むしろ、性格がよく、どの集団にも溶け込めてしまうことが選択肢を増やし過ぎ、そのコミュニティに属する理由を希薄にして、難しい人生にしてしまうことだって無きにしもあらずなのだ、とかなんとか、いろいろ考えた結果、一番しっくり来た自分の感想は、そういう発言をする娘がどう変わるか(あるいは変化しないままどういう集団に属していくか)をただひたすら見ていたいのだなぁと思った。

これは娘に限らず、会社のメンバーに対しても思っていて、ひとそれぞれウザイ点やどうかと思う点があるのだけれど、教育して画一化したいとは思わないのは、そのいろんな色が合わさるめんどくささがミラクルになったり思いもよらぬ何かを起こす希望を含んでいるような気がするのだ。

もちろん、人を殴るなとかいう意味のしつけ、あとは学習という意味での教育は必要だと思っているけど、それ以上は今のところいいかなと思ってる。 みんな好きにやればいい。そう思う。