やっぱり俺はこの子の事が好きなのだ

妻との出会いから子育てまで

センチメンタルはロッケンロールの始まり  

犬を預ける先の候補
 1、近所の親戚−「飼える」であって「飼いたい」ではない
 2、知り合いの知り合いー「飼いたい」が地理的心理的に「遠い」

犬からしてみりゃ2
嫌々飼われたくないし、飼い主としても罪悪感がある。
預ける側としては、会いたくなったらすぐに会える1
でも地理的に遠いし、会いたくなったらすぐ会いにいけるほど親しい間柄でもない。


彼女の引越し先では犬を飼えない。そして引越しは決定事項。


飼ってる犬と離れて暮らすことになり彼女は
「最後まで面倒を見れないのは可哀想」
と言った。
でも彼女が自分の気持ちに問うた時、可哀想だと想うのは
愛情からいうよりむしろ責任感からそう想うという事。、
彼女が言った「どうせ預けてしまったら忙しく過ごす毎日の中で忘れてしまうだろう」とは、「忘れてしまうのが嫌だ」という中二病的自己陶酔とは違って少し乾いている。
俺が想うのは可哀想とは犬に迷惑な話だということ。
「俺が犬だったら『おめーに同情されるほど落ちぶれちゃいねー!』つってきっと腹立つよ。動物は順応する。人間ほどだらしなくない。テレビで見た盲導犬の話でもそうだけれど、訓練所に入れる前の犬が家族と別れるときだって、寂しがってるのは犬じゃなくて人間の方。むしろ犬は飄々と別れ、次の日から与えられた環境に
対応しようとしているように見えたよ」
結局、犬は吠えるだけなので、わからないのだけれど。


今回思ったのは、センチメンタルは嫌だなぁって事。
あと金があれば引き取る気はあったなぁってこと。
まじで金ない。