やっぱり俺はこの子の事が好きなのだ

妻との出会いから子育てまで

ぎゅっとして記念日、エイプリルフール

「好きだと言わないで好きだと伝えたいじゃん」
「会いたいって言うとか?」
「それは言いすぎ。会いたいも駄目。
なんていうか、好きだとか会いたいって言う便利な言葉を使わないで伝えようとすると、婉曲に言葉の限りを尽くすか、行動で現すしかなくなってくるような気がするんですよ」
「だから?」
「だから好きだとか言わなくても良い、というかむしろ言わない方がいいんです。言わないでも伝えられるようになれと。なんなら僕達が最初の成功例になります」
友人やお姉さま達に腕組みをして首を傾げられる。すこぶる評判が悪い、らしい。僕の説明が足りない部分があるし、そもそもこんな事を他人に話す必要はないことはわかっているのだけれど、人に話して反応をみている。もしかすると新しい試みに少々の不安があるのかもしれない。
区切りがどうとか、好きだと言ってくれないと女子は不安で仕方ないはずだと回りは言う。
みんな隠れて、俺の知らないところで、好きだの、お前だけだのきっと言ってるから、そんなことを言うんだと思う。僕も過去にそうしてきた。彼らの言う事はいつだって正しい。


言わなくても伝わってる瞬間があるってこと最近感じる。そんな時間に気づけた時はそれをすごく大事に味わいたいと思う。多分それが一番の贅沢。あのほら一番の贅沢は人間関係におけるそれだ、と言ったのは誰だっけ?忘れた。


渋谷。エイプリルフールの渋谷。彼女の友人とお花見をして(ハーレム状態に慣れなくて最初は緊張した。あのほらお披露目みたいな感じもあったし)スクランブル交差点で解散。彼女も彼女の友人もばらばらになって、一人になって、喫煙所でたばこ吸ってから帰ろうってな感じだったのだけれど、ちょっとだけ会いたくなって電話した。
フレッシュネスで他愛無い話。「友達といる時と二人でいる時違う?」「いや、やっぱりよく喋るねえ友達といると」と答えると「高校の時の友達といる時の方がもっと喋るよ」だって、ついていけない。
外へ出て、閉店して暗くなった店のショーウィンドウに姿を映して背比べをした。公称サイズよりどー考えてもその子は小さい気がするのだけれど、まあそー言うわけだから仕方がない。いつか計る機会があれば疑うわけではないのだけれど確かめてみたいとか思いながら、渋谷の駅に向かう下り坂の方へ振り返ろうとした時、袖を引っ張られて、囁かれた。最初は言っている意味がわからなかった。何の前振りもない。言われた通りに動いた、ロボットのよう。事態を飲み込めるようになるとカーッときたから、顔も赤くなっていたと思う。しばらくそのままに、ちょっとだけキスもした。
「こーゆーの嫌い?」って後で聞かれた。好き、と素直に答えるわけにはいかなくて、ツンデレ的な説明をしたのだけれど、「よくわからない反応だ」と言われた。とにかく僕はエイプリルフールを「ぎゅっとして記念日」と命名した。


嘘じゃあるまいな。


恋愛は慣れた頃からウィットが出だすと思う。
今の所ウィットが出てこないのはご愛嬌。(ただのノロケ日記だ)