やっぱり俺はこの子の事が好きなのだ

妻との出会いから子育てまで

残された子供の時間

親にそうされたようにしか振る舞えないという点で、子供に大変熱心な親になる予感はしていません。「親はなくても子は育つ」ではなく、むしろ「親がいても子は育つ」と言った坂口安吾の言葉を思い出します。

教祖の文学・不良少年とキリスト (講談社文芸文庫)

教祖の文学・不良少年とキリスト (講談社文芸文庫)

嫁が妊娠したことを聞き、そういう覚えがなかった俺は、「誰の子だ!認知しない!」と激怒し責任を回避しようとしましたが、どうやら俺が覚えていなかっただけのようで逃げ場なく、しばらくして湧いた妊娠についての感慨は、まず嬉しいよりも先に、やれ地震放射能だ不況だというこういう御時勢の中で、ちゃっかり俺の知らないところで着床した子供に「ふてぶてしいやつだ!」と笑いたいような気持ちになったというのが正直な所でした。
またしばらくして、実際的な費用や手続きについてひと通り確認した後、ふと子供の親になるのだから俺はもう子供ではいられないのだなと気づいた時、ちょっとだけそれを寂しく感じました。


最近は自分が子供でいられる残りの時間でしたい事をよく考えます。
ひんしゅくを買いそうな所だけ掻い摘んで書くと、妻が産休に入ってしまうと稼ぎが減るので「買い物をするなら今だ!」とか、しばらく海外へ行けないので「嫁が正月実家に帰ってる間にインドに一人で行こう!」とか。
もちろんそういう自分勝手なもの以外にハートフルで嫁を感動させるような計画も大体100個くらい考えてはいるのですが、あまりいい人振ると後が大変なのでここでは差し控えます。



コッピーという魚を飼いだしました。2日に1回えさをあげると行為が生活にリズムを与えてくれました)


熱心な親にはならないとは書きつつも産まれくる子供と一生懸命遊ぶ自分の姿を想像したりしてたまにニヤニヤしています。
「絶対そんなことしないだろ!」
と自分に突っ込みたくなるくらい想像の私はいいお父さんです。
そして残念なことに子は親を選べないというのが宿命です。


こんな調子ですがらツワリが酷い嫁は輪をかけて旦那に嫌悪感を感じているようです。


というわけで、今後ともよろしくお願いいたします。
(予定日は来年の1月中旬です)